
| 教員氏名 | :尾道 建二 |
|---|---|
| ローマ字 | :Onomichi Kenji |
| 所属学部 | :工学部 建築学科 |
| 所属学科 | : |
| 研究室 | : |
| 研究室電話番号 | : |
| 研究室FAX番号 | : |
| メールアドレス | :archist@kyukyo-u.ac.jp |
| 学生諸君へ | 私の研究室では、伝統的歴史的町並みと、町家・民家の歴史的建築から、近代・現代建築に至るまで建築意匠と設計法に関する調査研究を行っている。
調査研究を行う中で、優れた伝統性を持ち、しかも、デザイン的に洗練された建築を見ると心が踊る。学生諸君が、将来、建築家やデザイナーになろうと考えているならば、良い物を見て感動する心を持たなければならない。建築の設計は設計者のすべてが表れるからだ。自分そのものを表現するには豊かな精神と心を持つよう色々なものを身に付けなければならない。建築は、自分の人生観であり、自分の生き様である。自分が豊かな生活を送れるか否である。 |
|---|---|
| 取得学位 | 平成17年3月 博士(工学)(熊本大学 乙博工第93号) |
| 学歴 | 昭和46年3月 福岡大学工学部建築学科卒業
昭和46年4月 熊本大学大学院工学研究科建築学専攻入学 昭和48年3月 熊本大学大学院工学研究科建築学専攻修了 平成元 年4月 熊本大学大学院自然科学研究科博士課程入学 平成 3年3月 熊本大学大学院自然科学研究科博士課程 単位取得退学 |
| 専門分野 | |
| 所属学会名 | 日本建築学会
日本生活文化史学会 建築史学会 民俗建築学会 |
| 教育研究社会活動の概要 | |
| 担当授業科目 | 工学部建築学科 建築意匠論
工学部建築学科 日本建築史 工学部建築学科 西洋・近代建築史 工学部建築学科 造形デザイン演習A 工学部建築学科 造形デザイン演習B 工学部建築学科 空間デザイン演習C 工学部建築学科 空間デザイン演習D 工学部建築学科 建築学総論ゼミ 工学部建築学科 建築学専門ゼミ 工学部建築学科 卒業研究 |
| 学内における委員会活動等 | |
| 社会貢献・国際連携等 | 【学会活動】
昭和52年4月 日本建築学会九州支部歴史意匠委員会委員(〜現在に至る) 平成 5年 1月 日本建築学会九州支部 常議員(学術担当幹事)(平成5年1月1日〜平成6年12月31日) 平成6年 5月 日本建築学会『建築雑誌』九州支部号編集委員(平成6年12月まで) 平成6年11月 日本建築学会 評議員(平成6年11月1日〜平成8年10月31日まで) 【社会活動】 昭和59年7月 宮崎県日向市美々津町並み保存調査協議会委員 昭和60年7月 「美々津町並みシンポジューム」基調講演(日本建築学会九州支部・日向市) 平成 元年9月 北九州市町並みデザイン委員会委員(景観審議会)(平成17年3月まで) 平成 元年6月 北九州市八幡駅前団地更新基本計画委員会委員 平成 3年 2月 北九州市八幡駅前団地基本計画策定懇談会委員 平成 4年 4月 北九州市都市景観整備基本計画策定検討部会委員 平成5年11月 福岡県水巻町保健福祉会館建設検討委員会委員 平成 5年 8月 北九州市輸入促進センター「太刀浦地区製品輸入対応型物流施設基本設計」業者選定委員会委員 平成 5年 8月 北九州市輸入促進センター「太刀浦地区製品輸入対応型物流施設」施工業者選定委員会委員 平成 6年 8月 北九州市輸入促進センター「流通センター基本計画策定」(コンペ)業者選定委員会委員 平成 6年 3月 中間市第3次総合計画検討委員会委員(アドバイザー) 平成 8年 8月 北九州市黒崎駅前線(シンボルロード)景観検討協議会 副会長 平成8年10月 「長崎街道宿場シンポジューム」基調講演(武雄市、北方町、大町町、佐賀新聞社) 平成10年7月 市民公開討論会シンポジュームパネラー (福岡県建築士会 北九州市) 平成 9年 6月 福岡県岡垣町「岡垣サンリーアイ第2期施設実施設計」コンペ審査委員会 委員長 平成9年10月 中間市都市計画マスタープラン策定委員会委員(アドバイザー) 平成10年5月 中間市地域総合福祉会館設計プロポーザル審査委員会 委員長 平成11年1月 北九州市東折尾地区特定優良賃貸住宅事業企画開発提案競技選考委員会 副委員長 平成11年5月 福岡県岡垣町総合計画審議会 副会長及び会長代理(平成12年3月まで) 平成12年7月 福岡県岡垣町都市計画審議会委員 平成15年3月 福岡県岡垣町都市計画審議会 会長(〜現在に至る) 平成17年8月 九州ブロック建築士会連合・宮崎県建築士会シンポジューム・パネラー 平成18年5月 北九州市立志永中学校PFI審査委員会委員(〜現在に至る) |
| 種類 | 著書・学術論文の名称 | 単著共著 | 発行年月等 | 発行所等 | 概要 |
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| 著書 | 「九州・沖縄を歩こ」(九州・沖縄の建築見て歩きガイド) | 共著 | 2002.6. | 株式会社エックスナレッジ | 九州・沖縄の建築についての歴史的建築から現代建築に及ぶ専門的な建築ガイドブックである。北九州地域を執筆した。[総597ページ中46〜73ページ、254〜259ページを担当 共同執筆者多数] |
| 著書 | Museum Kyushu「景観としての博物館」 | 共著 | 1998.9. | 九州歴史資料館・博物館等建設推進九州会議 第61号,pp.17‐25 | 「町がそのまま博物館 美々津」を執筆。江戸時代、明治時代、大正時代、昭和初期の歴史的建造物群と町並みについて解説した。[総81ページ中 17〜25ページを執筆 共同執筆者13名] |
| 著書 | 「建築MAP北九州」 | 共著 | 1998.2. | TOTO出版株式会社 | 北九州地域の建築ガイドと解説本である。この中で、若松の歴史的解説文として「晴れ着としての若松の近代建築」[総81ページ中 17〜25ページを執筆 共同執筆者13名] |
| 著書 | FUKUOKA STYLEVol.13「特集 歴史の町並み」 | 共著 | 1996.1. | 福博綜合印刷株式会社 | 歴史的町並みを特集したもので、「美々津の町並み」の歴史的建造物群の建築構成と町並みの構成について述べている。[総144ページ中 35〜41ページを執筆 共同執筆者18名] |
| 著書 | 「 歴史の町並み再発見」 | 共著 | 1993.9. | 読売新聞西部本社編 葦書房出版 | 九州地域の伝統的町並みを紹介したにもので、「日之影」、「木屋瀬」、「石坂」、「内野」の町並みについて執筆した。[総270ページ中 137〜140、172〜176,217〜221、249〜253ページを執筆 共同執筆者20名] |
| 学術論文 | 九州地方における石造アーチ橋の分布と石工集団 | 共著 | 2005.3. | 日本生活文化史学会「生活文化史」第47号,pp.60‐67 | 九州における石造アーチ橋の分布を明らかにし、さらに石造アーチ橋を造った石工集団との関係を明らかにしたものである。[総8ページ(共同研究のため本人担当部分抽出不可能)] [稲用光冶、尾道建二 ] |
| 学術論文 | 江戸時代における肥後領所在の浄土真宗の庵室について | 単著 | 2005.3. | 日本生活文化史学会「生活文化史」第47号,pp.51‐59 | 主に、寛政7年(1795)以降の庵室平面を明らかにしたもので、大規模な庵室は寺院本堂の平面と同じ構成で、小規模の庵室は梁間が3間以下であったことを明らかにしている。[総9ページ ] |
| 学術論文 | 寛延3年(1750)から寛政3年(1791)までの浄土真宗の庵室の変遷と平面構成(肥後藩における浄土真宗の庵室に関する研究 その3) | 単著 | 2005.2. | 日本建築学会計画系論文集No.588,pp.183-187 | 元文5年(1740)までの庵室は間口が2.5間と2間であったが、寛延3年(1750)になると間口3間の庵室が造くられておりその平面を明らかにしている。さらに、寛延3年(1750)の3年後の宝暦3年(1753)になると庵室は梁間2間、桁行き7間以下に規制されたことを明らかにしている。[総5ページ ] |
| 学術論文 | 江戸時代前期から中期における浄土真宗の庵室の平面構成(肥後藩における浄土真宗の庵室に関する研究 その2) | 単著 | 2004.12. | 日本建築学会計画系論文集No.586,pp.149-154 | 寛永10年(1633)から元禄5年(1692)までの庵室平面と、元禄5年(1692)から元文5年(1740)までの庵室平面を明らかにした。庵室はそれぞれの時代における住居と同じ平面であることと、内部には絵増の仏を掲げていたことを明らかにした。[総6ページ ] |
| 学術論文 | 江戸時代前期から中期にかけての浄土真宗の庵室の形成(肥後藩における浄土真宗の庵室に関する研究 その1) | 単著 | 2004.7. | 日本建築学会計画系論文集No.581,pp.151-157 | 江戸幕府は元禄5年(1692)において、寺院昇格以前の信仰施設を「庵室」とし、「庵室」が寺院へ昇格することを規制した。元文5年(1740)の庵室は寛永10年(1633)の持佛堂の規模を引き継いで造られたことを明らかにした。[総7ページ] |
| 学術論文 | 『寺社旧記』にみる寺号取得以前の真宗の宗教施設について | 単著 | 2003.9. | 日本生活文化史学会「生活文化史」第44号,pp.95‐102 | 寛保2年(1742)の毛利家文書『寺社旧記』から「法名本」と呼ばれる寺号取得以前の真宗施設の存在を明らかにし、庵と呼ばれていた施設について考察した。[総8ページ] |
| 雑誌 | 江戸時代の肥後藩寺院建築研究の史料について ( その2. 『肥後藩人畜改帳』にみる合志郡の宗教施設 ) | 単著 | 2005.2. | 九州共立大学工学部研究報告 第29号 | 細川忠行が肥後領に移封された翌月の寛永10年(1633)に人畜改が実施されたが、その時の記録である『肥後藩人畜改帳』に記された信仰施設を分類したものである。信仰施設の規模と居住施設の規模と構成を分類した。[総9ページ] |
| 雑誌 | 萩毛利藩「天保改革」による御上之山調書替の過程について | 共著 | 2003.1. | 九州共立大学工学部研究報告 第27号 | 天保14(1843)から安政2年(1855)に書かれた史料から江戸期における山車の意匠と藩政との関係について考察している。[総6ページ ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[政岡清計、尾道建二] |
| 雑誌 | 山口祇園会御上ノ山の変遷について | 共著 | 2002.1. | 九州共立大学工学部研究報告 第26号 | 長禄3年(1459)以降の毛利藩山口祇園会の祭礼で出された御上ノ山について「山口祇園会仕法替御寄進山調替被仰付候一件」の史料から変遷を求めている。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[政岡清計、尾道建二] |
| 学会発表 | 大正期における官営八幡製鉄所工場建築の設計と建設について(日本における鉄骨構造建築の導入と発展過程についての研究 その5) | 共著 | 2006.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第45号・3 | 明治42年(1909)以降、官営八幡製鉄所における工場建築において、外国から日本に移行されていく過程と背景を論じたもの。[開田一博、尾道建二] |
| 学会発表 | 九州の石造建造物の研究(17. 肥後の石工「岩永三五郎」の石橋の変遷について) | 共著 | 2006.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第45号・3 | 肥後の石工「岩永三五郎」架けた石橋の変遷について考察した。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[稲用光冶、山元俊彦、尾道建二、北野隆] |
| 学会発表 | 官営八幡製鉄所 国産第一号工場建築のロール旋盤工場について | 共著 | 2005.8. | 日本建築学会2005年度大会(近畿)学術講演梗概集 | 明治42年(1909)操業開始のロール旋削工場について、建築概要、設計者、当時の建設推進組織、鋼材状況およびロール旋削工場が与えた影響について述べた。[総2ページ ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[開田一博、尾道建二] |
| 学会発表 | 九州の石造建造物の研究(16. 肥後の石工「岩永三五郎」の石橋) | 共著 | 2005.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第44号・3 | 肥後の石工「岩永三五郎」が薩摩領で架けた指宿市の「港川橋」、鹿児島市の「園田橋」、川内市の「江之口橋」について考察した。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[稲用光冶、山元俊彦、尾道建二、北野隆] |
| 学会発表 | 九州の石造建造物の研究(15. 薩摩・大隈国の初期の石橋について) | 共著 | 2005.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第44号・3 | 江戸時代の薩摩・大隈国である隼人町の「太鼓橋」、姶良町の「黒島神社石橋」、大隅町の「恒吉太鼓橋」、菱刈町の「小川添橋」等の実測調査を基に石橋の工法について考察した。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[稲用光冶、尾道建二、北野隆、山元俊彦] |
| 学会発表 | 創立期における官営八幡製鉄所工場建築の設計と建設について(日本における鉄骨構造建築の導入と発展過程についての研究 その3) | 共著 | 2005.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第44号・3 | 明治34年(1901)に官営八幡製鉄所が創業を開始した。創設期における工場建築の設計と建設はドイツ人技術者の指導のもとで行われたが、ドイツ人技術者の指導によって日本人技術者が技術を修得したことを述べている。[総4ページ ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[開田一博、尾道建二] |
| 学会発表 | 官営八幡製鉄所の開設に向けた技術者の陣容と担当分野について(日本における鉄骨構造建築の導入と発展過程についての研究 その2) | 共著 | 2004.8. | 日本建築学会2004年度大会(北海道)学術講演梗概集 | 官営八幡製鉄所が開設した当時の技術者を明らかにした。建築部門では明治30年(1897)3月の伺い文書に「従五位 工学博士 山口半六があった。当時の建築課は高等官の官舎事務所が主で、工場建築は他の部署であったことを明らかにした。[総2ページ ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[開田一博、尾道建二] |
| 学会発表 | 九州の石造建造物の研究(14. 日向の石橋について) | 共著 | 2004.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第43号・3 | 日向国である日之影町に所在する「網の瀬橋」、「深角橋」、高千穂町の「鶴の平橋」、「九兵衛橋」に関する史料を検討したもの。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[稲用光冶、尾道建二、北野隆] |
| 学会発表 | 創立期における官営八幡製鉄所尾倉修繕工場の設計と建設について(日本における鉄骨構造建築の導入と発展過程についての研究 その1) | 共著 | 2004.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第43号・3 | 官営八幡製鉄所が開設した初期の工場である明治33年(1900)の「尾倉修繕工場」について概要と建設体制について述べている。建設体制については直営工事としての作業員の確保、ドイツ人技術者、建設組織について明らかにしている。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[開田一博、尾道建二] |
| 学会発表 | 九州の石造建造物の研究(13. 豊後国の石橋について) | 共著 | 2003.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第42号・3 | 豊後国に所在する江戸時代の「筏場橋」、「通の車橋」、「古殿橋」、「西谷橋」の調査研究で、構法について考察し、肥後の石工との関わり合いについて述べたものである。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[稲用光冶、尾道建二、北野隆] |
| 学会発表 | 日向市美々津伝建地区における江戸時代の「床の間」について(その2) | 共著 | 2003.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第42号・3 | 国指定の伝統的建造物群保存地区である日向市美々津における町家の床の間について、文久2年(1862)と慶応元年(1865)建設の「床の間」を実測調査し、床の間の構成、意匠、技術について考察したものである。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[高山寛子、尾道建二、稲用光冶、政岡清計] |
| 学会発表 | 日向市美々津の伝建地区における明治時代の「床の間」について | 共著 | 2003.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第42号・3 | 江戸時代から明治時代の「床の間」の変遷を明らかにすることを目的としている。日向市美々津に所在する明治17年(1884)、明治19年(1886)の床の間を実測調査し、構成、意匠、そして技術について考察したものである。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[親泊直子、尾道建二、稲用光冶、政岡清計] |
| 学会発表 | 日向市美々津伝建地区における江戸時代の「床の間」について(町家の「床の間」に関する研究 その1) | 共著 | 2002.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第41号・3 | 日向市美々津伝統的建造物群保存地区における町家の床の間について、天保4年(1833)と安政2年(1855)建築の町家を取り上げ、町家の床の間を実測調査し、床の間を構成している「床」、「床脇」、「明かり欄間」、「狆潜」などの構成、意匠、技術について考察したものである。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[黒木真希、尾道建二、稲用光冶、政岡清計] |
| 学会発表 | 九州の石造建造物の研究(12. 眼鏡橋に関する石垣坪積算について) | 共著 | 2002.3. | 日本建築学会九州支部研究報告第41号・3 | 菊池市立門橋に関する「眼鏡橋御積帳」、「立門橋関係の図」、「石垣坪取図」、「眼鏡橋銘細帳」の史料について論じている。[総4ページ] (共同研究のため本人担当部分抽出不可能)[稲用光冶、尾道建二、北野隆] |