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写真:経済学部 経済・経営学科教授 教授 (Okada Yuko)
教員氏名 岡田 有功
ローマ字 Okada Yuko
所属学部 経済学部
所属学科 経済・経営学科
職 名 教授
研究室 深耕館 3階 S302
研究室電話番号 (416)
メールアドレス y-okada@kyukyo-u.ac.jp
オフィスアワー 水曜日 12:30 ~14:00
学生諸君へ 大学生活は長いようで短いものです。この間に,研究・遊び・アルバイトなど他人との交流を通して,自らを認識するとともに入学時とは異なる自分を創りあげてください。
取得学位 商学修士
学歴 平成6年3月 早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程満期退学
専門分野 近代日本経営史・経済史
所属学会名 昭和63年4月  社会経済史学会会員
平成2年7月  土地制度史学会 (現・政治経済学・経済史学会)会員
平成8年10月  環境社会学会会員
平成10年5月  経営史学会会員,経営行動研究学会会員,九州経済学会会員
平成16年  金属鉱山研究会 (現・鉱山研究会)会員
教育研究社会活動の概要 特になし
担当授業科目 経済学部経済・経営学科 経営史
経済学部経済・経営学科 日本経営史
経済学部経済・経営学科 商業の歴史
経済学部経済・経営学科 ゼミナールⅠ~Ⅴ
経済学部経済・経営学科 ビジネス特講C
経済学部経済・経営学科 外書講読A
経済学部経済・経営学科 経営者論
経済学部経済・経営学科 福原学
経済学部経済・経営学科 ゼミナール入門
経済学部経済・経営学科 職業とコミュニケーション

学内における委員会活動等 入試問題委員
入試委員
シラバス・コーディネーター
社会貢献・国際連携等 平成14年2月 草加市市政功労者表彰
種 類 著書・
学術論文の名称
単著
共著
発行
年月等
発行所等 概 要
著書
著書 1880年代における小坂銀山の開発が地域環境にもたらした影響を技術と経営を通して解明する (1880年代における小坂銀山の開発と地域環境に関する研究) 単著 2002.3.1 平成12年度~平成13年度 科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書  本研究では、小坂銀山の開発が地域環境をどのように変え、地域からどのような影響を受けたのか、という問題について1880年代の技術と経営を通して実証的に検討した。自然的環境に影響されつつ進められた小坂銀山の開発は、製錬技術の転換により経営の成立・存続を可能としただけでなく、地域に経済的利益をもたらし「鉱山依存型」の社会的環境を創り出していった。持続可能な経営を実現する際に不可欠の条件は、存立基盤としての地域環境の維持・存続を可能とする枠組みを構築していくことであると論じた。
著書 草加市史 通史編 下巻 共著 2001.3.31 草加市  明治期から現在までの草加市の歴史のなかで、ゆかた染・皮革業などの地場産業、工業団地、天然ガス開発、工場規制と集団化など工業の変遷について執筆した。戦後に地場産業の衰退が顕著になったこと、工場の進出が大正期から昭和戦前期にみられ、戦後の高度経済成長期に大規模な工業団地の建設が行われたこと、草加の都市化の進展とともに公害問題が顕著となりその対策が工業にも求められるようになったことなどを、地域に即して明らかにした。
学術論文
学術論文 炭鉱開発と地域経済―明治後期の筑豊地域を中心に― 単著 2009.3.19 『エネルギー史研究』第24号  炭鉱開発が地域経済にどのような影響をもたらしたのか、という点について、国内最大の採炭地であった筑豊地域の鞍手郡と同郡新入村を事例に検討した。1880年代後半以降、炭鉱業が拡大するにともない、同郡ならびに同村の人口が増加し消費市場の拡大とともに消費物資の移入が始まった。その結果、人の移動とともに新たな貨幣と物資の流れが生み出され、炭鉱依存型の地域経済が形成されていったのである。
学術論文 鉱山開発と地域環境─1880年代における小坂銀山の技術と経営を中心として─ 単著 2002.6.25 『経営史学』第37巻第1号(1~27頁)  官営期における最新の製錬技術の導入とその転換は、1880年代における小坂の産銀量の増加をもたらした。藤田組に払い下げられた小坂銀山では、拡大する鉱山事業に応じて経営管理の強化・コストの削減が図られていった。小坂の開発は、地域環境を改変するとともにその影響を受けつつ進められた。継続的に事業を展開して経営の効率化を図るためには、自然的環境を再生産しつつ鉱山依存型の社会的環境を創り出していく経営政策・経営能力が必要であることを論じた。
学術論文 地下資源開発における地域と企業経営 ─草加の温水ガス坑井をめぐって─ 単著 1998.3.30 『草加市史研究』第11号(113~125頁)  高度経済成長期の1960年代初めに、草加市において温水ガスが発見され、それを利用したレジャーランド開発構想が急浮上した。しかし、高度成長期に入り都市化と工業の発展が進み、地域の生活環境は悪化しつつあった。全国的に公害問題が関心を集めていた60年代後半には、温水ガスの開発に当たった帝国石油株式会社の経営危機が表面化した。企業や地域にとって、開発から得られる利益よりも公害対策のコストの方が大きくなっていたため、地盤沈下のおそれのある温水ガス開発は中止を余儀なくされたことを論じた。
学術論文 公害問題と買鉱制度 ─花岡鉱山煙害問題を中心に─ 単著 1996.1.20 『土地制度史学』第150号(38~48頁)  日本産銅業に関する先行研究において簡単に指摘されるに止まっていた買鉱制度と公害問題との関連に注目し、この制度の中核的存在であった小坂鉱山に対して売鉱を行った花岡鉱山の煙害問題を検討した。鉱石の取引手段である買鉱制度を公害問題の〈解決〉方法という視点からみると、公害発生源の統合・合併を促し操業規制と同じ効果をもって、花岡・小坂の煙害問題を〈解決〉したといえる。
学術論文 鉱山と地域経済─第一次大戦前後の小坂鉱山と小坂村を中心に─ 単著 1992.7.25 『早稲田商学』第354号(117~151頁)  これまでの煙害問題に関する研究から、地域経済の分析が必要となり、小坂鉱山を擁する小坂村を採りあげ、日本産銅業にとって大きな転換期となった第一次大戦前後について検討した。同村の①戸数・人口、②鉱山労働者、③生産・消費の構成、④国税および歳入額、⑤村議会議員の構成に関する分析の結果、同村の鉱山依存型経済の特徴が明らかとなった。
学術論文 小坂鉱山煙害問題と反対運動 ─1901~17年─ 単著 1990.9.30 『社会経済史学』第56巻第3号(59~89頁)  上記2の論文「小坂鉱山における煙害問題」をふまえ、いままで資料上の制約から明らかにできなかった企業側の動向を煙害問題のなかに位置づけた。また、被害地域住民の煙害反対運動を軸として3期に時期区分を行って当該問題を整理・分析し、帝国議会ならびに県議会において小坂の問題がどのように取り扱われていたのかといった点にも言及した。
学術論文 小坂鉱山煙害問題と反対運動 ─1901~17年─ 単著 1990.9.1 『社会経済史学』第56巻第3号(59~89頁) 上記2の論文「小坂鉱山における煙害問題」をふまえ、いままで資料上の制約から明らかにできなかった企業側の動向を煙害問題のなかに位置づけた。また、被害地域住民の煙害反対運動を軸として3期に時期区分を行って当該問題を整理・分析し、帝国議会ならびに県議会において小坂の問題がどのように取り扱われていたのかといった点にも言及した。
学術論文 鉱山公害と地域民衆─小坂鉱山における煙害問題を中心に─ 単著 1988.3.1 早稲田大学(修士論文)  本論文では、従来の歴史研究においてあまり採りあげられてこなかった公害問題を通して、鉱山と地域との関係について小坂鉱山と小坂村を例にとって明らかにした。日本産銅業の発展に大きく寄与した同鉱山における製錬技術の革新の一方で、周辺地域は煙害問題に悩まされることとなった。地域住民による煙害反対運動が展開されるが、いわゆる「企業城下町」的な経済・社会・生活環境が反対運動に少なからず影響していたことを検証した。
紀要
紀要 花岡鉱山会社の定款について 単著 2005.2.28 『九州共立大学経済学部紀要』  第一次企業勃興期の1888(明治21)年に作成された花岡鉱業会社の定款を紹介した。当時の鉱業会社の定款が残されているケースは少ないため,本定款は鉱業会社の制度的特徴を知るうえでも貴重であろう。
紀要 1880年代における銀山の開発と経営 単著 2002.6.30 『九州共立大学経済学部紀要』第89号 (1~18頁)  1886年に採用された銀本位制度の物質的基盤としての銀を産出していた佐渡・生野・小坂・院内の主要銀山における採鉱・製錬部門の技術導入の過程とその経営状況について検討した。採鉱・製錬の両部門の生産能力の均衡がとれたときに鉱業の発展がもたらされること、鉱石の品位は生産技術、コスト、および収益性にも影響を与えること、生産技術に応じた経営方式の改革により生産工程の管理が進んだことなどが明らかとなった。
紀要 小坂鉱山における煙害問題 単著 1988.12.10 早稲田大学大学院『商学研究科紀要』第27号(213~247頁)  修士論文の内容を発展させるために、小坂の被害民および地方自治体の動向を中心とした煙害問題の展開過程ならびに反対運動の内部構成に重点をおきつつ、それらの分析を行った。そこから、地方自治体、特に県当局は政府の方針と同様、鉱業保護の態度をとっていたこと、反対運動の構成主体は地主・自作農層であったこと、県議会内の政争が反対運動にも影響を及ぼしていたことなどを究明した。
学会発表
学会発表 1880年代における鉱山開発―花岡鉱業会社と小真木鉱山会社を事例として― 単著 2008.12.20 経営史学会西日本部会  1880年代にみられた鉱山開発のうち,会社組織による事例を採りあげた。具体的には,花岡鉱業会社および小真木鉱山会社の設立計画の経緯と出資者・役員の構成を検討した。花岡鉱業の場合,同じ屋号を有する同族集団,小真木鉱山では同郷集団による人的ネットワークが形成されていたことが明らかとなった。
学会発表 炭鉱開発と地域経済-明治後期の筑豊地域を中心に- 単著 2007.9.8 政治経済学・経済史学会九州部会  前掲論文「炭鉱開発と地域経済―明治後期の筑豊地域を中心に―」と同じ。
学会発表 第一次企業勃興期における事業会社 ─花岡鉱業会社と田口卯吉をめぐって─ 単著 2005.11.20 経営史学会第41回全国大会(於:神戸大学)  日本において初めて株式会社の設立ブームが出現した明治中期の第一次企業勃興期に設立または計画された事業会社のうち、田口卯吉がかかわったものに焦点をあてた。田口は、率先して鉄道・鉱山・銀行などの新規事業に取り組み,人的ネットワークを通じて会社を組織していった。彼にとって重要なことは、会社の経営よりも会社組織とそれにふさわしい事業を結びつけることであった。こうした彼の〈起業家〉としての側面を明らかにした。
学会発表 第一次大戦前後における鉱業と地域環境 ─小坂鉱山と小坂村を中心に─ 単著 2005.4.16 社会経済史学会九州部会(於:西南学院大学)  鉱業にとって大きな転機となった第一次大戦前後の時期を対象に、鉱業と地域環境のかかわり方を小坂鉱山と小坂村に焦点をあてて分析した。地域環境は、企業からみれば経営環境であり、地域住民からみれば生活環境となる。原料鉱石の枯渇(自然的環境)および銅の市場価格の変動(市場環境)の影響をうける鉱山の発展のあり方は、鉱山依存型の生活環境=地域環境を創り出した、と結論づけた。
学会発表 1880年代における銀山の開発と経営 単著 2002.7.27 経営史学会西日本部会(於:九州共立大学)  前掲論文「1880年代における銀山の開発と経営」と同じ。
学会発表 鉱山開発と地域環境 ─官営小坂銀山の経営を事例として─ 単著 1999.10.24 経営史学会第35回全国大会(於:中京大学)  官営小坂銀山の開発が地域環境にもたらした影響を解明するために、おもに第一次と第二次官営期について検討した。同銀山の開発は、最新鋭の製錬技術の導入・転換によって銀の大量生産を実現し、経営コストを削減させ収益を生み出すことに成功した。それは、雇用機会の提供という形で地域に経済的利益を還元しつつ進められたが、周辺の森林を大量に伐採するものであった。小坂銀山の開発は、自然的環境の損失をもたらすとともに、社会的環境という地域住民の「生活の場」としての地域環境も改変していったことを論じた。
学会発表 花岡鉱山における公害問題と買鉱制度 単著 1994.10.22 1994年度土地制度史学会秋季学術大会(於:名古屋大学)  前掲論文「公害問題と買鉱制度─花岡鉱山煙害問題を中心に─」と同じ。
学会発表 鉱山と地域経済─明治・大正期の小坂村を中心に─ 単著 1990.10.27 1990年度土地制度史学会秋季学術大会(於:神奈川大学)  小坂鉱山における煙害問題の研究から浮かび上がってきた問題点は、煙害反対運動の主導者ならびに地方自治体が鉱山の存在を前提とした態度をとっていたことであった。その原因を探るために、①同鉱山と地域経済との関係、②煙害の地域への影響を検討し、鉱山中心の地域構造が反対運動にも大きな影響を及ぼしていたことを指摘した。
学会発表 小坂鉱山煙害問題の生成と展開 単著 1989.6.3 社会経済史学会第58回全国大会(於:早稲田大学)  前掲論文「小坂鉱山における煙害問題」をもとに、被害民の煙害反対運動を①煙害問題発生期、②第一次反対運動高揚期、③第二次反対運動高揚期の3期に区分し、それぞれの時期における特徴を明らかにした。反対運動の構成主体は地主・自作農層であったこと、運動の背景には鉱山の経済的な影響がうかがえることにも論及した。
学会発表 小坂鉱山における煙害問題 単著 1988.7.1 早稲田大学大学院商学研究科主催研究発表会 前掲論文「小坂鉱山における煙害問題」と同じ。
その他
その他 『草加市史』 資料編Ⅴ 共著 1996.3.29  工業の節において,皮革・染色・ゆかた染の地場産業,工業団地,その他工業,公害問題に関係する資料を,戦後復興期,高度成長期,戦後の転換期の3期に区分して解説した。
その他 『社会経済史学』 第58巻第4号 単著 1992.11.25  安藤精一著『近世公害史の研究』吉川弘文館 1992年の書評を行った。前近代における日本の公害(問題)史について,ほぼ全域にわたる実証研究をふまえて初めて体系化した点を評価しつつ,若干の問題点を指摘した。